ドクター・患者さんインタビュー

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落合聡司先生×植松佑介さん

落合聡司先生

独立行政法人国立病院機構 甲府病院
スポーツ・膝疾患治療センター長

落合 聡司 先生 <Ochiai Satoshi>

国立病院機構 甲府病院内にスポーツ外傷や膝疾患の治療を目的として2007年に開設されたスポーツ・膝疾患治療センターのセンター長。
ひざのトラブルで悩むアスリートや一般患者に最適な治療と的確なアドバイスをおこなう医師として注目されている。

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医療は日進月歩で進化している。

「独立行政法人国立病院機構 甲府病院 スポーツ・膝疾患治療センター」は、全国的にも名高い、ひざに特化した治療部門。アスリートへの治療だけではなく一般の方々へも的確な治療やアドバイスをおこなうことで注目を集めています。本日はセンター長である落合先生と2017年2月に自家培養軟骨移植術を受けた植松さんに直接お話を伺いました。

はじめに、落合先生と自家培養軟骨移植術のかかわり、そして現在どのような活動をされているか教えていただけますか
落合:きっかけは、広島大学の越智光夫(おちみつお)先生の講演をお聞きしまして、最先端のひざの再生医療技術に非常に感銘を受けたことです。その後、広島大学に国内留学をさせていただきまして、ひざ治療の技術と当時はまだ治験段階でありましたが、培養軟骨移植術の手技や培養について学ばせていただきました。世界屈指の研究機関である広島大学で半年間学ぶことができ、大きな力と転機になったと思います。留学を終えて、甲府病院に戻り、2007年にスポーツ・膝疾患治療センターを立ち上げることになりました。
山梨県は、中・高・大学をはじめ、プロスポーツチームも多くあり、アスリートのひざ疾患が非常に多い地域です。甲府病院にも多くの患者さんが訪れており、専門的な医療をわかりやすく提供する施設が必要とされていました。設立後は症例がどんどん増えて、ひざの外傷・スポーツ障害の治療実績では、民間の調査会社の調べで全国3位です。大きな都市に行かなくても専門的な治療が受けられる施設となり得たのは嬉しく感じています。
患者さんの6割がアスリート、4割が一般の方という割合で、中高齢者や骨折の方も多く来院されます。スポーツの種類では、チームドクターとして山梨学院大学やTOSENクリーンファイターズ(社会人チーム)のラグビー部を診ていることもあり、ラグビー関係が少し多いです。あとは、バレーボール、サッカーという感じです。植松くんもそうですが、山梨はサッカーも盛んですからね。
植松さんは治療時、中学3年生でしたね。どういったケガだったのでしょうか
植松:ぼくはサッカーが大好きで、ヴァンフォーレ甲府のアカデミーにも所属していました。ケガをした時もサッカーの試合中でしたが、相手選手の踵がぼくのひざに強くあたってしまって。
その時は、もちろん痛かったのですがプレーは続けられました。ところがハーフタイムに入ったところで立っていられない程になり、交代し近くの病院につれていってもらいました。その日はとりあえずひざを冷やして帰宅し、後日MRIなどで診察してもらった結果、手術が必要な大きなケガだと言われました。そして、甲府病院を紹介していただきました。
さぞ驚いたと思いますが、痛みやひざの状態は具体的にどうでしたか
植松:ひざのまわりがすごく腫れていました。足がまっすぐな時はまだいいのですが、少しでも曲げると激痛が走り、歩くどころか立っているのも辛い状態でした。はじめに手術が必要なケガと聞いてすごく驚き、怖くなりましたが、落合先生から再生医療の新しい治療法である自家培養軟骨移植術で「治る」と言われてほんとうに安心しました。
落合先生、植松さんのケガはどんな具合だったのでしょうか
落合:ひざがかなり腫れていまして、血がたまっていました。その時は、注射器で血液を60cc程度抜いたと思います。関節の動きも悪く、30度くらいしか曲がらず、歩行も厳しい状態でした。
右大腿骨外側顆に、広範囲な骨軟骨損傷があるというのは、前もってMRI画像などで特定できていましたが、ここまで広範囲な例は、当院でも多くはありません。
植松さんに、自家培養軟骨移植術をすすめた理由を教えてください
落合:ひざ軟骨欠損の治療方法はいくつかあります。植松さんの場合、内視鏡を入れて広範囲の骨軟骨欠損を実際に確認しました。欠損部近くに衝撃で剥がれた骨付きの軟骨の破片がありましたが、つぶれてしまっていて正常なかたちではなくなっていました。
さらにその破片の骨の部分が薄くなっていまして、いちど欠損部に接合を試みたのですが形状が合わず、これで接合してもまた剥がれてしまうだろうと判断し、接合術はあきらめました。「自家骨軟骨柱移植術」も検討しましたが、植松さんの場合は19×27mmの広範囲な欠損でしたので、健康な軟骨を採取する場所が不足していることと、スポーツ選手としての将来性を考慮した結果「自家培養軟骨移植術」をおすすめしました。
植松さんは、自家培養軟骨移植術をどう思いましたか。再生医療の新しい治療法に不安などありましたか
植松:この治療法を落合先生から聞いて、自分でも病院のパンフレットや記事、ネットなどでいろいろ調べました。気になったのは、完全に治るまで1年位かかるというところでした。1年間、自分がサッカーをできない間に他の人はどんどん上手くなっているだろうなと考えるとやはり焦ります。でも、高校1年生のときはダメだけど、残り2年はサッカーができるのだからがんばろうと思いました。焦る気持ちも当然ありますが、周りの人にも「再発しないように焦らずじっくり治せ」と言われ、それも納得できました。再生医療という新しい治療法については、ぼくも家族も落合先生をとても信頼していましたので、そこに不安はありませんでした。
2017年1月19日に軟骨組織採取、2月16日に移植手術でしたが、いかがでしたか
植松:軟骨組織採取はたいしたことなく、痛くもありませんでしたし、すぐに終わりました。移植手術はやはり緊張しました。いままで手術なんてしたことなかったですし。
手術が終わり、「うまくいきました」と先生から聞いた時は、心からほっとしました。麻酔が切れた時はやはり痛かったです。最初は自分の足じゃない感じでした。血もたまったりして動かすとズキンと痛かった。でも、毎日だんだんよくなってきて、それがすごく嬉しかったです。いまは普通に歩けますし、階段の昇り降りもできます。ケガをしたタイミングが春休み前だったので、春休み中に手術を受けられてよかったです。
植松さんの経過についてはいかがですか
落合:植松さんは私が治療した中で、いちばん若い患者さんです。その若さもあってか、非常に順調に回復しています。術後9カ月ほどですが、日常生活は困らない程度に回復していますね。診断画像でもいい状態です。
今にも走り出せそうなくらいで、早く競技復帰をさせてあげたいのですが、最新の治療法なので慎重に治療をしています。やはり1年間はしっかり治療に専念してひざを作ってもらい、徐々に復帰していくことを守ってもらいたいです。せっかく治ってきたひざがまた……となってほしくないですからね。
リハビリについて教えてください
植松:ひざを曲げることからはじまり、荷重訓練などいろいろやってきました。特に辛かったことはないのですが、ひざまわりの筋肉が落ちていて、それを戻すことが大変でした。片足のスクワットのときなどブルブルしてしまい、曲げることができなかったことは少しショックでした。痛くはないのですが。
それぞれのメニューは、最初は違和感がありましたが、やっていくうちになれてきます。メニューのひとつにターンがあるのですが、はじめは手術をした右足では全然できなかったのが、だんだんできるようになってきて。
こうしたことからも回復しているなあと感じられて嬉しいです。でも、まだ右足と左足の筋力に差がある感じですね。あと、ひざに負担がかかるので体重を増やさないように食事に気をつけています。
落合:植松さんは、いまは3カ月に1度の通院、リハビリは当院ではなく、ご自宅近くの施設でおこなっています。当院では、遠方の患者さんがご自宅近くでリハビリができるように、リハビリをおこなう施設への紹介状とプログラムを用意しています。そして紹介先の先生と密に連携をとり、情報交換をおこなっています。当院にも多くのリハビリの先生がおり、そのうち何名かはアスレチックトレーナーの資格も持っていますので、リハビリだけではなく、アスレチックトレーニングの見地からも、競技復帰までの指導をおこなっています。
特にひざの場合は、まわりの筋肉を鍛えることで、ひざに負担がかからないようにすることが大事なので、そうした指導をリハビリの延長線上でしっかりと指導するようにしています。
しかし植松さんは、体重まで気をつけているのはすごい。ぼくもそこまで指導していなかったと思います(笑)

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