日本初、ひざ軟骨トラブルからプロ復帰!自家培養軟骨移植術スペシャル対談

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日本初、ひざ軟骨トラブルからプロ復帰!
自家培養軟骨移植術スペシャル対談

ヴィクトリーナ姫路 逆瀬川 由衣選手 × 神戸大学医学部整形外科 星野 祐一 先生

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今回はプロバレーボールチーム ヴィクトリーナ姫路のアウトサイドヒッター 逆瀬川由衣選手と、担当医である星野祐一先生にお越しいただき、ひざ軟骨トラブルから復帰までのお話を伺いました。逆瀬川選手は、ひざ軟骨欠損から再生医療(自家培養軟骨移植術)により、プロとして復帰した日本初のアスリートになります。

星野:こんにちは、元気そうでなによりです。
逆瀬川:ありがとうございます!
逆瀬川さんは、現在ヴィクトリーナ姫路所属のプロバレーボール選手であり、ひざ軟骨の再生医療で現役復帰をした「初のプロアスリート」になりますが、今のコンディションなどいかがですか。
逆瀬川:おかげさまで、ひざのコンディションは上々です。週6日間バレーボール漬けの毎日です。だいたい午前中にボールを使った練習を主におこない、午後からは体力トレーニングという感じのメニューを毎日こなしています。走り込みやダッシュ、ウエイトトレーニングなどのメニューも個々でおこなっています。
毎日練習ですか、やはりプロですね。疲れとか溜まらないですか。
逆瀬川:溜まるといえば溜まります(笑) でも、トレーナーがアドバイスをくれたり、うまく調整をしてくれます。また、練習は夕方までなので、練習後にマッサージをおこなったり、温泉に行ったりなどのリフレッシュもしています。
ひざのケガについて教えていただけますか。
逆瀬川:大学3回生の頃だと思いますが、練習中にひざに痛みが出るようになり、そのうちに水が溜まるようになってきました。それが原因でスパイクの時に飛べなくなるなどプレーにも支障が出ました。そのつど病院に行き、溜まった水を抜いてもらっていました。
毎回注射器1本から2本くらい。1本はだいたい20ccくらいでしょうか。それまではジャンパー膝のトラブルがありましたが、ここまでひどくなったことはありませんでした。
その時も、普通にバレーボールを続けていたのですか。
逆瀬川:ええ、水を抜くと楽になり動けるようになるので、いつも通り練習をしていました。しかし根本的な改善にはなりませんから、大学3回生の冬に半月板部分切除とドリリング(※)の手術をおこないました。
その時は、ちょうど大学の教育実習があり、1カ月間くらいバレーボールの練習も休めたこともあり、ひざの状態は少し良くなっていました。
手術後は、軽いスクワットやチューブを使った股関節まわりのトレーニングなど、リハビリ的なことも軽くしていましたが、今にして思えば、この時にもう少しきちんとケアができていれば良かったのではと思います。
そして再び練習に参加するようになりましたが、すぐに調子が悪くなってしまいました。以前とまったく同じ症状で、ジャンプができない、水が溜まるというトラブルです。
※ドリリング(骨穿孔術:こつせんこうじゅつ):欠けた軟骨(患部)の下に露出した骨の表面にドリルやキリのような器具で孔を開け、中の骨髄から血液(骨髄液)を軟骨が欠けた箇所に流入させることで、軟骨に代わる組織の形成を促すもの。
星野:私のところに初めてきた時に、「ジャンプができない」としきりに言っていましたね。
逆瀬川:はい、私のポジションでは飛べないことは、まったく役に立たないということ。プレー中に、今までの自分の距離感では、まったくタイミングがあわなくなってきて、すごく困りました。星野先生に診ていただいた時は、そんな状態の時です。
星野:診察してみると2箇所に大きな軟骨欠損がありました。PF(膝蓋大腿関節:大腿骨上を膝蓋骨(膝のお皿)が滑るように動く関節)という部分と大腿骨と外側の脛骨があたる部分でした。この状態では、バレーボールのプレーはなかなか厳しいと思いました。
その時も、普通にバレーボールを続けていたのですか。
逆瀬川:はい。隔週くらいでヒアルロン酸の注射をしてもらい、溜まった水を抜くということを繰り返しながら続けていました。
ドクターストップなどはなかったのですか。
星野:その辺りがアスリートのひざ軟骨治療の難しいところでもあります。
ご本人の意思で、ある程度のことができてしまうので、ここでドクターストップという線引きがとても難しいのです。
どこからどこまでが運動をしてはいけないという規制は、ドクターからではなくご本人の気持ち次第。特にひざ軟骨については、以前は今のようなさまざまな治療法もなく、大きなひざ軟骨欠損への治療方法も確立されていなかったこともあり、例えばプロアスリートに、「ひざ軟骨欠損が大きくてたぶん治りません。プレーはもう無理です」とは、なかなか言うことはできませんでした。そのつど痛み止めの注射をしたり、水を抜いたりという処置をしながら続けてもらう方法しかなかったのです。
今は再生医療も登場し、大きなひざ軟骨欠損も治療できるようになりましたから治療に選択肢も生まれ、ずいぶん良い環境になってきたと思います。
でも、自家培養軟骨移植術はまだ新しい手術で前例が少ないこともありますから、プロアスリートの方に自信をもって「元どおりに治ります」と言えないところもあり、歯がゆいですね。
逆瀬川さん、その当時はどんな気持ちでしたか。
逆瀬川:やはり、思うようにプレーできないことが何よりつらかったです。
選手としての役割がまったく果たせない。だからといって多く練習してもますます痛みが出て動けなくなる。困ったなあ、どうしようかとずいぶん落ち込んだ状態でした。
でも、私はどちらかというと楽天的なので、何とかなるんじゃないかという希望もありました(笑)
星野:大抵の人は、こうなったらかなり落ち込み、泣いたり怒ったりしますが、彼女は泣きごとを全然言いませんでしたね。強い人だなと思いましたね。
それが大学4回生の冬頃ですか。その時、すでに仙台のチーム(前所属チーム)と契約をしていたのですか。
逆瀬川:はい。ひざにトラブルはあったのですが、バレーボールは今まで通りに続けていて、ちょうど試合の時に見にきていたスカウトの方にお声掛けをいただきました。もちろん、ひざのことも伝え、今後どうするかよく話し合いました。
自家培養軟骨移植術の手術をおこなうつもりでしたので、その場合は復帰まで1年くらいかかることも伝えました。
星野:たぶんそのあとすぐに私のところに相談にきたと思います。彼女の手術をおこなう予定ではいましたが、手術後、4月から仙台に行きたいと言われ、「おいおい、今12月だよ。時間がないでしょう、間に合うかな」と、こちらがすごく焦りました。
自家培養軟骨移植術のことを初めに聞いた時、どんな印象でしたか。
逆瀬川:再生医療とか培養とか、今まで無縁の世界ですので、正直全然わかりませんでした。説明されている時も、「へー」とか「ほー」とか他人事のように話を聞いていました(笑)
でも、正直に言うと、手術はやりたくありませんでした。そもそも痛いのが大の苦手で、注射も大嫌いです。今まで手術や大病なんてしたことがない人生でしたから、バレーボールのことがなければ、たぶんやらなかったと思います。ドリリングは手術というよりケガの治療のイメージでした。
星野:この時点では、逆瀬川さんの治療法は自家培養軟骨移植術しかありませんでした。あとは、この治療をするのかしないのかの選択しかない状況です。
2015年1月20日に軟骨組織採取手術、2月17日に培養軟骨移植手術でした。感想を聞かせていただけますか。
逆瀬川:初めの採取手術は簡単ですぐ終わるよ、大したことはないよと言われていました。以前おこなった手術は意外と痛かったので、ああよかったと思っていたのですが、終わってみると案外痛かったです(笑)
2回目の移植手術のときは、患部よりも脛のところが痛かったです。
星野:移植した自家培養軟骨にふたをするために患者さんの骨膜を使います。その骨膜を脛のほうからもってきたのですが、逆瀬川さんの場合はその部分の痛みが強かったようですね。痛みの感覚は人により感じ方が違うことがありますから。痛くしてすみませんでした(笑)
でも、先ほど彼女から痛いのが大嫌いと聞きましたが、術後に彼女から痛いとはほとんど聞かなかったと思います。
星野先生、逆瀬川さんの手術自体はいかがでしたか。
星野:まったく問題なく進行しました。ただ、あの頃はまだ症例数も少なく、われわれも、慎重に、慎重におこなっていた部分もあり、今と比べたら時間は多めにかかっていました。
逆瀬川さん、術後はいかがでしたか。
逆瀬川:終わって目が覚めた時はまだ朦朧としていましたから痛みも大したことなかったのですが、術後2〜3日は痛みが強い時もありました。足は動かせない状態でしたが、すぐに車椅子で院内を動きまわることはできました。
そして約1カ月後の3月20日に退院しました。ひざの部分荷重が1/3か1/4くらいの時だったと思います。そこから自宅でリハビリをして4月1日に仙台に向かいました。
3月31日に病院に松葉杖を急いで返却しに行った思い出があります(笑)
ずいぶん強行スケジュールですね。ひざの具合はどうでしたか。
逆瀬川:確かに強行スケジュールなのかもしれませんが、4月からスタートというチームとの約束は守りたかったので。
仙台では、東北大にお世話になりました。手術経過フォローと週3回のリハビリ指導を受けていました。夏くらいから徐々にチームに合流して練習をするようになったと思います。
仙台ではバレーボールチーム以外に仕事もしていましたので仕事場やチームにもあまり迷惑もかけたくないということもあり、できるだけ頑張って自分でリハビリをしていました。
そのリハビリのメニューについて教えていただけますか。
逆瀬川:最初は、ひざまわりのストレッチとか、イスから立ち上がってまた座るとかの動作をおこなっていました。
元気な人でしたら、イスに座る時、ゆっくりと腰を下ろせますが、私はひざまわりの筋力が落ちていたので、踏ん張れないで腰がストンと落ちちゃうのです。立ったり座ったりの動作をゆっくりとやり続けました。ひざまわりの筋肉も固まっていたので、ここもゆっくり曲げ伸ばしをしていくことからはじめました。やはり最初は痛かったですね。
仕事中はどうされていましたか。
逆瀬川:仕事はジムのインストラクターをしていました。ジムといってもあまり激しい内容ではなく、美容や健康目的のジムでしたから何とか勤まりました。
とはいっても、ずっと立ち仕事なので、大変といえば大変でしたがデスクワークよりも自分には向いていたと思います。
ジムのメンバーの方とのおしゃべりも楽しかったし、空いた時間には軽く運動ができました。

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