

今回、自家培養軟骨移植術の生みの親である越智光夫先生と、その製品化をおこなった J-TEC( 株式会社 ジャパン・ティッシュエンジニアリング)の研究開発本部 柳田 忍さんにお越しいただき、自家培養軟骨移植術の開発ストーリーをお話しいただきました。
越智:1994年に発表されたスウェーデンの自家培養軟骨細胞移植術の論文がでた時は、広島大学の助教授の頃でした。初めて論文を読んだ時、画期的な方法であり、硝子軟骨の治療には良いのではないかと思いました。ただ、手間暇がかかる。細胞をとって培養(細胞を増やす)する期間がいる。特別な設備も必要であることから、なかなか難しい治療法だなという感想でした。
越智:アテロコラーゲンについては、以前よりアイデアは持っていました。
私は、先生が広島大学に戻られてから一緒に研究をさせていただきましたが、たしか先生にお会いして、いちばん最初に「ブレインになれ」といわれました。そしてさらに「細胞培養のスペシャリストとして、他分野の先生方にも知識と経験を共有してほしい」ともいわれました。当初は軟骨研究だけの予定だったので、やや面食らいましたが、それがきっかけで、たくさんの先生方に出会い、神経や他の疾患にも触れることができ、たくさん勉強できました。さまざまな手術や研究を実際に目で見て、体験できたことは今でも私の糧となっています。
そうですね、私もまったくその通りだと思います。当時、先生たちと一緒になって、研究にたずさわっていると、やはり面白くて、時間のことなど考えなかった。疲れなども全然感じなかったですね。とにかく面白さが先にありました。(次ページにつづく)