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自家培養軟骨移植術開発ストーリー スペシャル対談

ひざ
自家培養軟骨移植術開発ストーリー スペシャル対談 越智 光夫先生×柳田 忍氏

今回、自家培養軟骨移植術の生みの親である越智光夫先生と、その製品化をおこなった J-TEC( 株式会社 ジャパン・ティッシュエンジニアリング)の研究開発本部 柳田 忍さんにお越しいただき、自家培養軟骨移植術の開発ストーリーをお話しいただきました。

広島大学学長

越智 光夫先生

Ochi Mitsuo

1952年8月6日生まれ 愛媛県今治市出身 専門は膝関節外科

広島大学医学部卒業後、整形外科に入局し手の外科の世界的な権威、津下健哉教授に指導を受ける。

1983年からヨーロッパに留学。43歳で島根医科大学教授に就任。膝軟骨損傷の患者から採取した細胞を培養し、患部に移植する3次元自家培養軟骨移植を開発した。
この治療法は2013年4月、日本発の再生医療で初めて保険適用になった。こうした功績により2004年に内閣府の産学官連携功労者表彰「日本学術会議会長賞」、2010年に文部科学大臣表彰「科学技術賞」、2014年に産学官連携功労者表彰「厚生労働大臣賞」を受賞。

カープやサンフレッチェの選手の治療やけが予防にも取り組む。

2012年には中国文化賞を受賞。2015年には「自家培養軟骨の開発」の研究成果が評価され、紫綬褒章を受章。

自家培養軟骨移植術開発ストーリー スペシャル対談 笑顔の越智 光夫先生のモノクロ画像

柳田 忍

Yanada Shinobu

1976年12月7日生まれ 徳島県阿南市出身 

株式会社ジャパン・ティッシュエンジニアリング 研究開発本部 研究開発部 マネージャー

1999年に広島県立大学 生物資源学部 生物資源開発学科を卒業、2001年に同大学大学院 生物生産システム研究科 修士を修了し、細胞工学と遺伝子治療の基礎を研究した。2008年には同大学大学院 生物生産システム研究科 博士取得。
自家培養軟骨の開発では、2002年から2006年まで、技術導入元の広島大学整形外科学教室(当時 越智光夫教授)に出向し、臨床現場で実施されていた自家培養軟骨の培養方法や移植手技を学び、製品開発に活かした。
出向中の2004年2月に第29回日本膝関節学会Dr. Eriksson賞:優秀ポスター賞を受賞。また自家培養軟骨の安全性評価(核型解析や造腫瘍性試験等)も担当した。
開発だけに留まらず、実製造法のプロセスバリデーションや医師へ説明するための手技書作成にも関与し、自家培養軟骨に対し幅広く関わっている。本製品化にあたり、2013年9月に第5回ものづくり日本大賞:内閣総理大臣賞を受賞。

自家培養軟骨移植術開発ストーリー スペシャル対談 笑顔の柳田 忍氏のモノクロ画像
  • 最初に越智先生に自家培養軟骨移植術の開発までの話をお聞きしたいと思います。

     

    越智:1994年に発表されたスウェーデンの自家培養軟骨細胞移植術の論文がでた時は、広島大学の助教授の頃でした。初めて論文を読んだ時、画期的な方法であり、硝子軟骨の治療には良いのではないかと思いました。ただ、手間暇がかかる。細胞をとって培養(細胞を増やす)する期間がいる。特別な設備も必要であることから、なかなか難しい治療法だなという感想でした。
    1994年までの広島大学時代、私が主に取り組んでいたのは生物学的再建術でした。例えばスポーツ外傷、スポーツ障害などに対して自分の組織を使って治す方法です。前十字靱帯損傷の患者さんが多く、年間130例くらい再建術を扱っており、軟骨や半月板などの2次的な損傷もありましたから、これだけでいつも手いっぱいでした。
    その時期も、もちろん軟骨に興味がありましたから、離断性骨軟骨炎の軟骨欠損部に、同種の半月板を入れる手術などをおこなっていました。
    その後、1995年に広島大学から島根医科大学に移るのですが、島根医科大学のある出雲市の人口は7万人くらい、だいたい広島の15分の1くらいです。人口が少ないから、前十字靱帯の治療はずいぶん減る。そして、この地域は高齢者比率が高く、変形性膝関節症が多いこともあり、軟骨研究を主に取り組むつもりでした。
    赴任前に1ヶ月くらい時間もありましたので、細胞を培養する培養室もヒトの細胞用に改修するなど設備面でもしっかり準備をしました。培養室というのは、ヒトと動物兼用というのは多くあるのですが、ヒト専用というのは少ないのです。

  • スウェーデンの自家培養軟骨細胞移植術とは何が違うのでしょうか。

    越智:スウェーデンの論文はすばらしいものでしたが、いくつか弱いところもあるなと思っていました。そのひとつが細胞の漏れです。骨膜のパッチを貼って、細胞を欠損部に入れていくわけですが、細胞を液体の状態で入れるということは、パッチを縫合した糸と糸の間から漏れ出てくる可能性があるわけです。
    その解決策として、私は3次元で細胞を培養したらいいのではないかと以前より考えていました。
    その当時、3次元培養はすでに動物実験でおこなっているところもありましたが、ヒトに応用するという観点はまだありませんでした。
    ひとくちで3次元にするとはいっても、方法はいくつもあり、さまざまなアプローチが必要でした。研究では、細胞が3次元構造の中でどのように動くのか、そしてどのくらい生き残るのかが焦点となります。まず細胞を2次元で培養して、後から3次元ゲル(ゼリー状)と混ぜるという方法では、3次元ゲルと混ぜるタイミングが手術の直前、2日前、1週間前で結果も違う。それに温度管理も加わっていくと、無数の組み合わせになり延々と実験が続きます。また並行して、はじめから3次元ゲルの中で細胞を育てていく研究もおこなっていて、最終的にはこの方法でいくことになるわけですが、その大きな理由は「作業工程がひとつ少ない」ということでした。2次元培養のほうが、実は細胞を早く培養できるのですが、後からゲルに混ぜるという工程がひとつ多くなり、その分、汚染のリスクが高くなります。故に私はできるだけ安全な方法を選びました。また、骨膜を貼る方法も、スウェーデンの方法より、確実にピシッと貼れる方法を考案しています。最高の治療を目指し工夫をしてきました。

  • 3次元培養に使われるアテロコラーゲンに行き着くまでは大変でしたか。

     

    越智:アテロコラーゲンについては、以前よりアイデアは持っていました。
    80年代にアテロコラーゲンを使った研究をしたことがあり、動物実験で拒絶が少なく良い成果をだしていました。そして、ちょうど同じ時期に「シワ取り用のコラーゲン」として美容分野で売られ始めていたため、美容で認可がおりているのなら、これは使えるんじゃないかなと考えていたのです。また、この研究に使えるコラーゲンはアテロコラーゲン以外にありませんでした。

  • 自家培養軟骨移植術は比較的順調に実用化されたのですか。

    越智:私は、どんなにすばらしい研究でも、最終的にヒトに使えないとあまり意味がないと考えています。社会実装までいかないと動物実験や博士論文のレベルで終わってしまう。ですから、私の研究は社会実装することをつねに考えています。それには今までヒトに使われているものをうまく組み合わせていく研究が大切なのです。例えば、すばらしい軟骨をまったく新しい手法で作ったとしても、それが未知の物質で、ひょっとして毒性の可能性があるものなら、なかなか認可がおりず使えないですよね。

     

    柳田:以前に先生から「君は何のために研究をやっているんだ」と聞かれたことがありましたね。私はあまり深く考えたことがなかったので、その時きちんとお答えすることができなかったのですが、そのあと先生が「世に使われるために研究をしないと意味がないんだ」と言われ、ああ、なるほど確かにそうだと深く納得したことを今でも憶えています。

  • J-TECとのかかわりについて教えてください。

    越智:1999年にこの研究を発表した時に3社がすぐに来られて、その1社がJ-TECでした。あとはアメリカの企業と日本の有名な企業でした。
    J-TECは非常に熱意があり、再生医療に特化した会社でもありましたので好感をもちました。それに日本で生まれた技術だったので、できれば日本で製品化したいという強い思いもありました。当時は再生医療ということばもなく、組織工学とか、組織工学的手法なんてよばれていました。

  • 島根医大や広島大学ではJ-TECの方々も一緒に研究していたのですよね。

    越智:そうです。ここにいる柳田さんたちに来てもらって、多くの労力と視点を得て研究に励んでいました。

     

    柳田:私は、先生が広島大学に戻られてから一緒に研究をさせていただきましたが、たしか先生にお会いして、いちばん最初に「ブレインになれ」といわれました。そしてさらに「細胞培養のスペシャリストとして、他分野の先生方にも知識と経験を共有してほしい」ともいわれました。当初は軟骨研究だけの予定だったので、やや面食らいましたが、それがきっかけで、たくさんの先生方に出会い、神経や他の疾患にも触れることができ、たくさん勉強できました。さまざまな手術や研究を実際に目で見て、体験できたことは今でも私の糧となっています。
    本当にありがたい時間であったと感じております。

     

     

    越智:彼は細胞培養のスペシャリストですから非常に助かりました。大学の医師たちは比較的異動の間隔がはやく、自分たちの研究が終わるといなくなってしまうことも多い。でも彼は医師たちが変わっても細胞培養に関して、徹底してアシストをしてくれる。彼が作ってくれた細胞を使い、こちらは研究に没頭できるので、大変助かりました。
    また、後年保険の適用までもっていけたことも、J-TECがいたからこそです。やはり我々だけだとできることが限られる。世界に向けて情報を流したり、リサーチしたりすることは、やはり協力企業がいないとなかなか難しいことだと思います。再生医療にかけている会社でよかった。ここまで来れたのはJ-TECのおかげです。

  • 先生の研究スタイルは比較的オープンであるとお聞きしていますが。

    越智:私がすばらしいアイデアを持っていても、周りのみんなが一緒になってわくわくしないと面白くないし、きっと研究はうまくいかない。「これがうまくいけば世界初だ!」なんて高揚感を持ってやることが研究者にはいちばん大切なのではないでしょうか。もちろん、自分が面白くない実験には身が入らない。面白ければ、睡眠時間が短くても大丈夫。そうじゃなければ夜中に研究室に行って、アイデアを試すなんてできないです。

     

     

    柳田:そうですね、私もまったくその通りだと思います。当時、先生たちと一緒になって、研究にたずさわっていると、やはり面白くて、時間のことなど考えなかった。疲れなども全然感じなかったですね。とにかく面白さが先にありました。
    日々目に見える成果があったので、刺激的な毎日でもありました。例えば、違う研究をしている先生方に、まったく同じ培養細胞を渡しても、その研究テーマによって全然違うデータが出てくる。そういったところも非常に面白く、勉強になりました。また、先生方の研究を目の当たりにして、ぼくならこう考える、こういうやり方もあるのではなど、自分なりにアイデアを考えるきっかけにもなりました。もちろんその時は、先生方の研究なので口には出しませんでしたが(笑)

     

    越智:今は広島大学の学長なので、そのような環境を大学でもどんどん作っていきたいと思っています。学生たちは英語で論文を書き、発表も英語でおこなうようにしています。やはり今は世界に向けて発信していかないとなりません。英語で論文を掲載しておけば、世界中にネットワークができる。研究者同士、会った時にすぐにその話ができ、すぐに一緒に研究もできますからね。
    私は、実は30代の頃あまり論文発表には興味がなかった。面白い実験をするのが主で、論文の発表とかは二の次になっていたこともありました。でもこれでは、研究が自分ひとりの中で終わってしまうし、広がらない。何より社会まで届きませんから。

  • 当時の柳田さんの印象はどうでしたか。

    越智:今とあまり変わらない。まじめで一生懸命、ちょっと融通がきかない(笑)

     

    柳田:そうだったかもしれません。毎日のように先生からいろいろなアイデアをいただくのですが、自分が面白いものしか積極的にやらなかったかもしれません。それが融通のきかない原因でしょうか(笑)
    でも先ほども言いましたが、先生から教わったことやその当時の研究への取り組み方、考え方は、今も間違いなく私の中に生きています。

     

     

    越智:それと、柳田さんは普通の感じがよかった。やはり相手が病院の先生やら学者となると、普通の人はちょっと身構えてしまう。でも、私たちだって失敗もするし、投げやりになったりする時もある。職業としてメスを持ち、試験管をふっているだけで、みなさんと同じです。だから、偉い人に媚びたり、認められると上から目線で見たり、そういうのはダメだと思います。普通の感覚でいることが大事。これは案外難しいことなのですが。

     

    柳田:そうですか。こちらは最初の頃はけっこうおびえていました。越智先生は背も高くて威厳がある。近寄りがたい気がしていました。もちろんしばらくすると慣れてきました(笑)
    廊下で先生が向こうからこちらに歩いてきた時に、「あ、今日は実験データが用意できていない。どうしよう、困ったな、怒られるかな」とビクビクしたことを憶えています。しかし先生は「最近どうだ?」とフランクに聞いてくださいました。
    また、私は、J-TECから出向してきている身分でしたが、身内のように接してくださいました。全然他人ではなかった。

     

    越智:うん、仲間だったね。彼は立場で言えば培養をする人間ですが、移植手術に立ち会ったり、いろいろな現場を見てきたから、全体が理解できている人。
    これは強いですよ。こういうことが非常に大事なのです。

     

     

  • 2012年にいよいよ製品化されるわけですが、そのあたりの話をお願いします。

    柳田:J-TECでは、目的や規模が大学とはやや異なり、培養細胞を高品質で量産し、全国の病院へ安全に送り届ける体制づくりが優先されます。世界初の製品のため、すべてのことをゼロから構築していかなければならない。さまざまな苦労がありました。私はといえば、まず製品開発のためのヒト組織集めに大変苦労しました。何より材料がないのです。安全性の試験、輸送の試験など、すべての試験にヒトの培養細胞を使いますから、たくさんの組織が必要でした。
    越智先生にもお願いしましたし、各所の大学や医療機関にもお願いしてあちこちから必死で集めました。
    また、輸送システムの構築にも苦労しました。細胞は生きているので、生理食塩水だけだと栄養が足りなくなって死んでしまいます。手術まで3~4日間はもたせないといけないので栄養が必要になります。そこで、空気がない容器の中でも耐えられる物質などをいろいろ試しました。容器についても形状やサイズ、安全性、温度管理などすべての項目でベストなものを作り上げました。このような研究作業が、越智先生の研究とは違った分野での研究になるでしょうか。

     

     

    柳田:同時に認可に向けての書類作成も山のようにありましたから、J-TEC社員がそれこそ全社一丸となって取り組んでいました。
    2012年、製造販売承認が取れ、正式に世に出た時は、やりきったというか成し遂げた感は大いにありました。

  • そして、翌年、2013年に保険適用が開始されるのですね。

    越智:保険に関してはJ-TECが主にやってくれたのですが、PMDA(医薬品医療機器総合機構)とかに説明する時などは、私もすぐに飛んで行って説明をおこないました。
    製品化された時や保険適用時の私の感想は、実はあまり感情が湧き上がってくるようなことはありませんでした。我々は何年も前から、同じことをやり続けていたものですから、あまり大きなことを成し遂げた感じはなかったのかもしれません。しかし、時間がたつにつれ、自分の考えた手技が実用化され、全国あちこちの病院でおこなわれていることを思うと、やはり感慨深いです。人のための研究は、意義があります。

  • 次の研究について教えていただけますか。

    越智:今取り掛かっている研究は、「細胞デリバリー」といいまして、軟骨治療に磁力を使うものです。自家培養軟骨移植術は、患部にメスを入れて手術をおこないますが、この方法では、手術が簡略化でき、傷も残らないので非常に患者さんにやさしいと考えています。
    簡単に説明すると、肝臓のMRI検査などで使われる鉄粉を細胞と一緒に患部に注射、外から磁力で細胞を患部に集めて治療するのです。現在、臨床試験が終了しており良い成績が出ています。
    また、培養軟骨移植術に関しては、近い将来に薄い人工膜も使えるようになります。それを使ってより広く患部を覆うことができれば変形性膝関節症の患者さんにも使えるようになるのではとも考えています。
    いまもいろいろなアイデアがありますが、大学の人間や柳田さんをはじめとした協力企業の仲間とタッグを組んで実用化を目指していきたいですね。

     

    柳田:自家3次元培養軟骨移植術は世界最初のものです。こうした、どこにもない製品を作ることは非常にやりがいのある仕事です。しかし我々の仕事の本筋は、人の役に立つ研究をおこない、それを世に出すこと。今後もいろいろな研究にどんどん取り組んでいきたいと考えています。ケガや病気で苦しんでいる方に、少しでも役に立つように。そんな人間になりたいです。

     

  • 越智先生、柳田さん、本日はよいお話をありがとうございました。

  • 越智先生からみなさまへ

  • 柳田氏からみなさまへ