ヴィクトリーナ姫路
逆瀬川 由衣選手
Sakasegawa Yui
所属チーム:ヴィクトリーナ姫路 背番号:11番
ポジション:アウトサイドヒッター
生年月日:1992年9月16日 身長:172cm
出身地:兵庫県明石市 出身校:神戸親和女子大学
受賞:関西大学バレーボール連盟女子一部春季リーグ戦 2011 年新人賞
西日本インカレ 2013 年、3位・サーブ賞
【自家培養軟骨移植術】
軟骨組織採取日 2015年1月20日
培養軟骨移植日 2015年2月17日
神戸大学 医学部
星野 祐一先生
Hoshino Yuichi
神戸大学医学部整形外科 助教
日本整形外科学会専門医
日本整形外科学会認定スポーツ医
日本体育協会公認スポーツドクター
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星野:こんにちは、元気そうでなによりです。
逆瀬川:ありがとうございます!
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逆瀬川さんは、現在ヴィクトリーナ姫路所属のプロバレーボール選手であり、ひざ軟骨の再生医療で現役復帰をした「初のプロアスリート」になりますが、今のコンディションなどいかがですか。
逆瀬川:おかげさまで、ひざのコンディションは上々です。週6日間バレーボール漬けの毎日です。だいたい午前中にボールを使った練習を主におこない、午後からは体力トレーニングという感じのメニューを毎日こなしています。走り込みやダッシュ、ウエイトトレーニングなどのメニューも個々でおこなっています。
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毎日練習ですか、やはりプロですね。疲れとか溜まらないですか。
逆瀬川:溜まるといえば溜まります(笑) でも、トレーナーがアドバイスをくれたり、うまく調整をしてくれます。また、練習は夕方までなので、練習後にマッサージをおこなったり、温泉に行ったりなどのリフレッシュもしています。
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ひざのケガについて教えていただけますか。
逆瀬川:大学3回生の頃だと思いますが、練習中にひざに痛みが出るようになり、そのうちに水が溜まるようになってきました。それが原因でスパイクの時に飛べなくなるなどプレーにも支障が出ました。そのつど病院に行き、溜まった水を抜いてもらっていました。
毎回注射器1本から2本くらい。1本はだいたい20ccくらいでしょうか。それまではジャンパー膝のトラブルがありましたが、ここまでひどくなったことはありませんでした。 -
その時も、普通にバレーボールを続けていたのですか。
逆瀬川:ええ、水を抜くと楽になり動けるようになるので、いつも通り練習をしていました。しかし根本的な改善にはなりませんから、大学3回生の冬に半月板部分切除とドリリング(※)の手術をおこないました。
その時は、ちょうど大学の教育実習があり、1カ月間くらいバレーボールの練習も休めたこともあり、ひざの状態は少し良くなっていました。
手術後は、軽いスクワットやチューブを使った股関節まわりのトレーニングなど、リハビリ的なことも軽くしていましたが、今にして思えば、この時にもう少しきちんとケアができていれば良かったのではと思います。
そして再び練習に参加するようになりましたが、すぐに調子が悪くなってしまいました。以前とまったく同じ症状で、ジャンプができない、水が溜まるというトラブルです。※ドリリング(骨穿孔術:こつせんこうじゅつ):欠けた軟骨(患部)の下に露出した骨の表面にドリルやキリのような器具で孔を開け、中の骨髄から血液(骨髄液)を軟骨が欠けた箇所に流入させることで、軟骨に代わる組織の形成を促すもの。
星野:私のところに初めてきた時に、「ジャンプができない」としきりに言っていましたね。
逆瀬川:はい、私のポジションでは飛べないことは、まったく役に立たないということ。プレー中に、今までの自分の距離感では、まったくタイミングがあわなくなってきて、すごく困りました。星野先生に診ていただいた時は、そんな状態の時です。
星野:診察してみると2箇所に大きな軟骨欠損がありました。PF(膝蓋大腿関節:大腿骨上を膝蓋骨(膝のお皿)が滑るように動く関節)という部分と大腿骨と外側の脛骨があたる部分でした。この状態では、バレーボールのプレーはなかなか厳しいと思いました。

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その時も、普通にバレーボールを続けていたのですか。
逆瀬川:はい。隔週くらいでヒアルロン酸の注射をしてもらい、溜まった水を抜くということを繰り返しながら続けていました。
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ドクターストップなどはなかったのですか。
星野:その辺りがアスリートのひざ軟骨治療の難しいところでもあります。
ご本人の意思で、ある程度のことができてしまうので、ここでドクターストップという線引きがとても難しいのです。
どこからどこまでが運動をしてはいけないという規制は、ドクターからではなくご本人の気持ち次第。特にひざ軟骨については、以前は今のようなさまざまな治療法もなく、大きなひざ軟骨欠損への治療方法も確立されていなかったこともあり、例えばプロアスリートに、「ひざ軟骨欠損が大きくてたぶん治りません。プレーはもう無理です」とは、なかなか言うことはできませんでした。そのつど痛み止めの注射をしたり、水を抜いたりという処置をしながら続けてもらう方法しかなかったのです。
今は再生医療も登場し、大きなひざ軟骨欠損も治療できるようになりましたから治療に選択肢も生まれ、ずいぶん良い環境になってきたと思います。
でも、自家培養軟骨移植術はまだ新しい手術で前例が少ないこともありますから、プロアスリートの方に自信をもって「元どおりに治ります」と言えないところもあり、歯がゆいですね。 -
逆瀬川さん、その当時はどんな気持ちでしたか。
逆瀬川:やはり、思うようにプレーできないことが何よりつらかったです。
選手としての役割がまったく果たせない。だからといって多く練習してもますます痛みが出て動けなくなる。困ったなあ、どうしようかとずいぶん落ち込んだ状態でした。
でも、私はどちらかというと楽天的なので、何とかなるんじゃないかという希望もありました(笑)星野:大抵の人は、こうなったらかなり落ち込み、泣いたり怒ったりしますが、彼女は泣きごとを全然言いませんでしたね。強い人だなと思いましたね。
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それが大学4回生の冬頃ですか。その時、すでに仙台のチーム(前所属チーム)と契約をしていたのですか。
逆瀬川:はい。ひざにトラブルはあったのですが、バレーボールは今まで通りに続けていて、ちょうど試合の時に見にきていたスカウトの方にお声掛けをいただきました。もちろん、ひざのことも伝え、今後どうするかよく話し合いました。
自家培養軟骨移植術の手術をおこなうつもりでしたので、その場合は復帰まで1年くらいかかることも伝えました。星野:たぶんそのあとすぐに私のところに相談にきたと思います。彼女の手術をおこなう予定ではいましたが、手術後、4月から仙台に行きたいと言われ、「おいおい、今12月だよ。時間がないでしょう、間に合うかな」と、こちらがすごく焦りました。

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自家培養軟骨移植術のことを初めに聞いた時、どんな印象でしたか。
逆瀬川:再生医療とか培養とか、今まで無縁の世界ですので、正直全然わかりませんでした。説明されている時も、「へー」とか「ほー」とか他人事のように話を聞いていました(笑)
でも、正直に言うと、手術はやりたくありませんでした。そもそも痛いのが大の苦手で、注射も大嫌いです。今まで手術や大病なんてしたことがない人生でしたから、バレーボールのことがなければ、たぶんやらなかったと思います。ドリリングは手術というよりケガの治療のイメージでした。星野:この時点では、逆瀬川さんの治療法は自家培養軟骨移植術しかありませんでした。あとは、この治療をするのかしないのかの選択しかない状況です。
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2015年1月20日に軟骨組織採取手術、2月17日に培養軟骨移植手術でした。感想を聞かせていただけますか。
逆瀬川:初めの採取手術は簡単ですぐ終わるよ、大したことはないよと言われていました。以前おこなった手術は意外と痛かったので、ああよかったと思っていたのですが、終わってみると案外痛かったです(笑)
2回目の移植手術のときは、患部よりも脛のところが痛かったです。星野:移植した自家培養軟骨にふたをするために患者さんの骨膜を使います。その骨膜を脛のほうからもってきたのですが、逆瀬川さんの場合はその部分の痛みが強かったようですね。痛みの感覚は人により感じ方が違うことがありますから。痛くしてすみませんでした(笑)
でも、先ほど彼女から痛いのが大嫌いと聞きましたが、術後に彼女から痛いとはほとんど聞かなかったと思います。 -
星野先生、逆瀬川さんの手術自体はいかがでしたか。
星野:まったく問題なく進行しました。ただ、あの頃はまだ症例数も少なく、われわれも、慎重に、慎重におこなっていた部分もあり、今と比べたら時間は多めにかかっていました。
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逆瀬川さん、術後はいかがでしたか。
逆瀬川:終わって目が覚めた時はまだ朦朧としていましたから痛みも大したことなかったのですが、術後2〜3日は痛みが強い時もありました。足は動かせない状態でしたが、すぐに車椅子で院内を動きまわることはできました。
そして約1カ月後の3月20日に退院しました。ひざの部分荷重が1/3か1/4くらいの時だったと思います。そこから自宅でリハビリをして4月1日に仙台に向かいました。
3月31日に病院に松葉杖を急いで返却しに行った思い出があります(笑)
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ずいぶん強行スケジュールですね。ひざの具合はどうでしたか。
逆瀬川:確かに強行スケジュールなのかもしれませんが、4月からスタートというチームとの約束は守りたかったので。
仙台では、東北大にお世話になりました。手術経過フォローと週3回のリハビリ指導を受けていました。夏くらいから徐々にチームに合流して練習をするようになったと思います。
仙台ではバレーボールチーム以外に仕事もしていましたので仕事場やチームにもあまり迷惑もかけたくないということもあり、できるだけ頑張って自分でリハビリをしていました。 -
そのリハビリのメニューについて教えていただけますか。
逆瀬川:最初は、ひざまわりのストレッチとか、イスから立ち上がってまた座るとかの動作をおこなっていました。
元気な人でしたら、イスに座る時、ゆっくりと腰を下ろせますが、私はひざまわりの筋力が落ちていたので、踏ん張れないで腰がストンと落ちちゃうのです。立ったり座ったりの動作をゆっくりとやり続けました。ひざまわりの筋肉も固まっていたので、ここもゆっくり曲げ伸ばしをしていくことからはじめました。やはり最初は痛かったですね。 -
仕事中はどうされていましたか。
逆瀬川:仕事はジムのインストラクターをしていました。ジムといってもあまり激しい内容ではなく、美容や健康目的のジムでしたから何とか勤まりました。
とはいっても、ずっと立ち仕事なので、大変といえば大変でしたがデスクワークよりも自分には向いていたと思います。
ジムのメンバーの方とのおしゃべりも楽しかったし、空いた時間には軽く運動ができました。 -
その時期もリハビリをしながら練習という感じだったのですか。
逆瀬川:はい。だいたい16時くらいに仕事を終えて、18時から20時くらいまでがチーム練習、シーズン時は15時から19時くらいまでが練習でした。週6日間、仕事もあったので今よりずっと忙しかったですね。
先生が先ほどおっしゃったように、前例があまりない手術でしたので、リハビリメニューが厳密に決められていました。「これはやっていい」、「これはまだだめ」とか結構細かく制限されていました。
メニューを見ると、これはもうできるんじゃないかなあ、と思うものもあったのですが、きちんと守りました。
チームではリハビリ中ということもあり、マネージャーの仕事が中心で練習も軽くボールをさわってという感じでした。
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仙台の時は、星野先生も逆瀬川さんの情報共有をされていたのですか。
星野:はい、もちろんです。また、術後3カ月、6カ月などの節目には神戸に来ていただいて直接診ていました。診察の時、確かにリハビリメニュー制限のことを言っていましたね。ひざの様子をみると個人的にはできそうな感じもしていたのですが、その辺りは慎重にならないといけませんからね。申し訳ないなと思いましたが、「まだダメです!」と言っていました(笑)
実は、移植した自家培養軟骨の定着には時間が必要なのです。筋肉などは頑張ってトレーニングをすれば、やった分だけ成果があらわれやすいですが、軟骨は個人がいくら努力しても早く治ることはなく、自身の細胞が治してくれる時間がどうしても必要になります。ですから、彼女の場合もこちらで診察して、手紙などで東北大の先生に細かく指示や注意をお伝えしていました。幸い彼女は無理をせず約束を守ってくれましたので、うまく治っていったのだと思います。 -
順調に回復していったわけですね。
星野:そうですね。手術をおこなうとどうしても筋力が落ちてしまいますが、それも徐々に回復していったと思います。
経過に大きな問題はありませんでしたが、ひとつだけ問題がありました。少し無理して運動をするとひざが熱を持ち腫れてしまうのです。
軟骨自体の定着は順調でしたので、バレーボールへの復帰は許可していましたが、無理をしないように様子をみながらおこなってもらいました。逆瀬川:運動量が多いと腫れて、腫れが引いてからまた運動すると腫れてくるという感じでした。そのうちここまでは大丈夫という運動量のラインがわかってきたので、その範囲内で練習をするようにしていました。
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日常生活では、不便などありましたか。
逆瀬川:日常での不便は、ほとんど感じませんでした。歩いたりすることも普通にできましたし。走ることはまだ無理でしたが、階段も普通に上り下りできました。もちろんいつもひざに注意しながら生活していましたが。
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失礼ですが、仙台ではマネージャー的な仕事が中心で、選手としての活躍は少なかったとお聞きしています。現在の所属チームのヴィクトリーナ姫路にはすぐに入団できたのですか。
逆瀬川:いえ、まったくそんなことはありません。仙台のチームに入団して2年、残念ながら選手としてチームの役に立つことができませんでした。
そうしたことで、今後のことを本当にいろいろ考えていました。このままマネージャーなどのサポート役で過ごすのもひとつの選択でしたが、どうしても選手としてバレーボールと関わりたくて、仙台のチームを辞め、地元神戸に戻る決心をしました。
地元に戻り、母校である神戸親和女子大学のコーチにご挨拶に伺い、相談したところ、大学で練習をさせていただけることになりました。
昼間はアルバイトをしつつ、夕方から大学で練習をするという生活を半年近くしていました。その間、いろいろな方のご協力があり、いまのチーム「ヴィクトリーナ姫路」に入団することができました。
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神戸に戻ってから、ひざの調子はいかがでしたか。
逆瀬川:神戸に戻ってきた時は、日常生活にはまったく問題はありませんでしたが、階段の上り下りの時に時々違和感がありました。何というか引っかかりというか、ちょっとした痛みと同時にひざの力が抜ける感じがするのです。
大して気にはしていなかったのですが、練習をしていた時に、ジャンプの着地でひざに無理がかかり痛みが出ました。すぐに星野先生に診てもらいましたが、関節ねずみという症状でした。星野:関節ねずみというのは、骨の破片などがひざの中で浮遊し痛みが出る症状です。逆瀬川さんの場合は、簡単に言うと患部にあったカサブタのようなものが、ジャンプしたことで剥がれて、遊離体となった状態でした。
ですから、その部分をトリム(切り落とし)し摘出しました。これは関節鏡でおこなえる手術で、2泊入院してもらったと思います。
患部を関節鏡で確認したところ、しっかりと軟骨が再生されていましたから、この遊離体を摘出することで、今まであったひざの引っかかりやゴリゴリ感がなくなったようです。逆瀬川:はい、その手術をしていただいてからすごく自然にひざが動くようになりました。力が抜けることもなくなり、ストレスなく動けるようになってすごく嬉しかった(笑)
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現在の状態はいかがですか。
逆瀬川:まったく痛くないわけではありませんが、ほとんど気になりません。その痛みも練習による、健康なひざでも起こる疲労での痛みかもしれません。あえて探せば、いまの問題点は筋力です。手術後からリハビリはしていましたが、やはりまだ完全には戻ってきていません。私はもともと筋肉がつきにくい体質なので、何とかしたいと一生懸命に筋トレをやっていますがなかなか難しい。年齢的なこともあるのでしょうが。
星野:筋力アップには運動と共に食べ物も大事です。タンパク質を上手に取り入れるといいと思います。例えば鶏肉とか。
逆瀬川:そうです、そうです。わかっているのですが、私、好き嫌いが多くて。鶏肉もどうも匂いが苦手で。。
星野:好き嫌いが多いアスリートはめずらしいですね。ちゃんといろいろ食べないとね(笑)
逆瀬川:はい、努力します(笑)

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ケガからの復帰後、初めての試合はいかがでしたか。
逆瀬川:昨年10月にサーブだけ打たせていただいたのが正式な試合復帰ですが、サーブのみでしたし、試合の雰囲気での緊張が強かったので、感無量的なことはまったくありませんでした。1月からのシーズン戦では、1試合とおして出場しました。その時はまわりの皆さんが、「よかったなあ、よかったなあ」と言ってくれ、私も「そうか、よかったなあ」と思いました(笑)
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最後に自家培養軟骨移植術について感想をいただけますか。
逆瀬川:最終的にこの治療方法を選んで正解だったと思っています。実際、今お話したようなつらい時期もありました。でもそういう時期があったからこそ、またバレーボールを一生懸命やりたいとも思えたし、心も強くなれたのだと感じています。
今こうしてバレーボールが再びできることを本当に感謝したい。先生をはじめ、まわりの皆さん、友人、家族に、ありがとうの気持ちでいっぱいです。
そして、この自家培養軟骨移植術のことですが、「アスリートに最適だから、皆さんもぜひどうぞ」とは一概には言えません。自分は、幸せなことに治療でのブランクのあとに、再びチャンスがもらえたけれど、プロアスリートの誰もがそういうことになるとは限らないから。プロアスリートにとって長い治療期間が必要な手術を受けることは、すごく重大な決断だと思います。
でも、その時、その時に、頑張っていれば必ず結果がついてくると私は信じたいです。
自分はまわりの方に大きく助けられました。多くの人に背中を押していただいたし、それが自分の力になり頑張れた。そしてチャンスも巡ってきたのだと思っています。星野:逆瀬川さんは気持ちが本当に強い人です。そしてバレーボールが大好きな人です。そうした人は、こうした大変な治療をしたあとでも元の場所に戻っていけるんだなとつくづく思いました。
私はスポーツ医なので、多くのアスリートの治療をこれまでおこなってきました。実際、治療中に気持ちが続かなくなって、リタイアするアスリートも多くいます。これは仕方のないことですし、それが間違いともいえません。でも、できれば、強い気持ちを持って治療し、また元どおりに復帰していただきたい。
そのためなら、私たち医師は全力でサポートします。
そして、こうした新しい治療法があることをもっと多くの人に知ってもらえればと思います。
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逆瀬川選手の活躍が楽しみです。本日はありがとうございました。
※2018年7月22日インタビュー収録
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逆瀬川選手からみなさまへ
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星野先生からみなさまへ