10年間悩まされ続けた両ひざのトラブルを克服、自家培養軟骨移植術スペシャル対談

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10年間悩まされ続けた
両ひざのトラブルを克服
自家培養軟骨移植術スペシャル対談

保健体育教諭 福間 みちる さん × 島根大学医学部 整形外科学教室 内尾 祐司 先生

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自家培養軟骨移植術の開発者「越智先生」の第一助手であった「内尾先生」。将来落語家になりたかった、ご実家はソロバン製造の職人で得意先回りによくついていったなど、子供の頃の楽しいお話を交えながら、患者さんの福間さんと対談いただきました。

本日は新型コロナの影響がある中、お越しいただきありがとうございます。こちらでも最善の感染予防対策をおこないインタビュー対談に望みます。よろしくお願いいたします。

福間さんは2018年10月に自家培養軟骨移植術を受けられたとお聞きしています。それから約2年経ちますが現在の調子はいかがですか。
福間:はい、いま日常的には問題ないです。まだ完全ではないのですが走れるようにもなってきました。私は保健体育の教師をしているので、普通の方より体を動かす機会が多く、立っている時間も長い仕事なのでひざには結構厳しい環境だとは思いますが、気をつけながら仕事や生活をこなしています。
ひざトラブルの原因を教えてください。
福間:10年くらい前のことですが、急にひざが腫れてきました。授業でひざをぶつけたわけでもなく、正直何が原因か思い当たらなかったのですが、左足に腫れと痛みが出ました。学生の頃から運動が好きでずっと続けてきていましたが、その間も大きなケガはしなかったです。
ひざが腫れたときは、アイシングをしたり湿布を貼ったりなど対症療法をおこないました。もちろん病院にも行き、水が溜まると抜くを繰り返しながら仕事をしていました。レントゲンで診ても骨には異常ありませんでしたが、なかなか改善しないので知り合いのアドバイスもあり、内尾先生の病院を紹介いただきました。
内尾先生、最初に福間さんを診察されたときはいかがでしたか。
内尾:診たところ明らかに軟骨損傷の症状でした。福間さんは学生の頃からスポーツをずっとやってこられて、仕事でも身体を使う方なので、微小なストレスで徐々に軟骨が壊れてきたのだと思います。検討した末に骨軟骨柱移植をおこないました。当時は2011年で、まだ自家培養軟骨移植術が世に出ていませんでした。
骨軟骨柱移植をおこなったのは左足ですか。自家培養軟骨移植術は右足ですよね。両足にトラブルがあったのですか。
福間:左足だけだと思っていたのですが、診ていただいたら右足もと言われ、私も驚きました。
内尾:はい、彼女の場合は両足の軟骨が傷んでいました。このことは関節鏡検査で初めからわかっていましたが、まず、痛みと腫れのひどい左足の治療をしました。バレーボールや陸上のダッシュなど、ひざを曲げながら負荷をかけるスポーツは、ひざのお皿の裏側にストレスがかかり軟骨損傷することがあります。事故などの損傷と違い、長年の蓄積によるものなので気づかないことが多くあります。そしてある日突然痛みがくる。調べてみたら軟骨が大きく欠損していたという患者さんを私も多く診ています。その原因ですが、軟骨というのは表面が氷のようにツルツルで中も柔らく弾力があるのですが、酷使してしまうと表面の一部が傷つき、他の部分より脆くなってしまい、表層雪崩のようにズレが出て、それが亀裂になり損傷してしまいます。
内尾先生は、開発者である「越智先生」と一緒に自家培養軟骨を研究されていたとお聞きしています。
内尾:1996年に越智先生が当時の島根医科大学に来られました。越智先生は当時からひざやスポーツ整形でとても高名な方でした。その時、私は末梢神経の勉強をしていて、ひざは専門外でしたが、越智先生に魅かれさまざまなことを学ばせていただきました。ひざ関節鏡、靱帯再建、半月板手術などのひざ手術も全て越智先生から教えていただきました。大学で越智先生が手術をするときは私がずっと第一助手でした。
ある時「軟骨培養をやるか」と言われまして。当時の整形外科の世界では21世紀にかかる問題がふたつあり、一つは「軟骨」もう一つが「脊損(脊髄損傷)」の治療でした。越智先生は、島根で新しいオンリーワンの治療をやろうとしていました。島根は地方だから症例数などは人口の多い都市に全くかなわないし、新しい治療の開発に積極的ではない。しかし、「人のやらないことをやりましょう。」「そして人の役に立つことをやりましょう。」というのが越智先生の考え方で、それが「自家培養軟骨」でした。当初は満足な培養室もなく、最低限の設備の部屋で、3人で始めました。大阪大学の先生に培養の方法を教えていただき、さまざまな実験を並行しておこないながらの作業でした。
自家培養軟骨が完成したときはいかがでしたか。
内尾:大変な思いをしながらも自家培養軟骨が出来上がり、患者さんに移植をして、手術後に初めて患者さんの軟骨が治っているところを関節鏡で見たときは、それはすごい感動で。もちろん学術的に治ることはわかっていましたが、実際に人の役に立った、治った、患者さんの幸せに繋がると感じ、その喜びは格別でした。今までの苦労も全て吹っ飛びました。しかも今まで誰もやったことがないことですから。
当時のエピソードなどありますか。
内尾:培養軟骨を作るには、まず酵素で軟骨の中の細胞だけを取り出すのですが、いちど酵素をかけてしまうともう後戻りできません。終わるまでノンストップ作業です。しかも数時間ごとに違う酵素に変えなくてはならず、時間を間違えてしまうと細胞はすぐ死んでしまいます。時間がとても大事なのです。最後に、取り出した細胞をコラーゲンに入れて硬くするのですが、このタイミングもとても大切で間違えると元の木阿弥、また最初からとなってしまいます。このように細胞培養の工程はとても繊細なのです。当時の私は培養をしながら手術などもおこなっていましたから、いつも時間に追われていました。ある時、つい大事な培養中に寝てしまいました。細胞は全滅です。2人体制でちゃんとタイマーをかけておこなっていたのですが、2人とも寝てしまってタイマー音には全く気がつきませんでした。3つもかけていたのですが(笑)
福間さん、右足も手術することになり、再生医療「自家培養軟骨移植術」を勧められたときはいかがでしたか。
福間:実は全部で4回ひざの手術をしています。左、右、左で骨軟骨柱移植を一回ずつ、4回目が右で自家培養軟骨移植術です。トラブルが10年と長い状態でしたので、自家培養軟骨移植術の話が出たときも良くなるなら試してみようくらいの軽い気持ちでした。
内尾:本当にすみません。患者さんにはつらい思いをさせてしまいまして… 初めにおこなった骨軟骨柱移植はその時はベストな治療法でしたが、福間さんの場合、ひざ周りの筋力が回復する前にオーバーワークで再び軟骨を傷めてしまったようです。仕事柄、仕方がないこともありますが、最初から自家培養軟骨移植ができていたらよかったのですが。
福間:先生が言われたように、完治する前に酷使してしまい、また軟骨を傷めてしまったのかなと思います。ひざの調子が良いと、まだ治っていないのに、気づかないうちに無理をしてしまいます。
今までの手術(骨軟骨柱移植術)と自家培養軟骨移植術は違いがありましたか。
福間:手術直後は同じですが、自家培養軟骨移植術はクッション性を感じられる気がします。ひざの骨の当たりが良くて、痛みの軽減具合も良い気がします。これまでの治療も治るには時間がかかると言われていたので、経過は同じですが、今回は違和感なく自然な感じで治っていくような気がしています。
内尾:骨軟骨柱移植は違和感がやや出やすいかもしれません。健康な軟骨をコルク栓のようにすっぽり取り出して移植に使うので、取った部分は以前より力が入りにくいことがあったりします。また骨軟骨柱移植は8gほど軟骨を使いますが、自家培養軟骨移植は0.4g程度で、足りない部分は培養で増やして移植するので患者さんへの負担は低減されます。また骨軟骨柱は円柱の形なので、ひざのお皿の裏側に移植するとどうしても違和感が出やすくなりますが、自家培養軟骨は軟らかくゼリー状なのでお皿に合った形で移植することができます。硬くなるまでに時間はかかりますが堅くなってしまえば本来の形に近いのでこれも有利ですね。
福間:そうですね、実感としてゴリゴリとした痛みや、当たってこすれているような違和感がないですね。
内尾:ただ、どちらの手術も外科手術であり、患部を切開するのは同じで、腿の筋肉の一部を切らざるを得ません。切開すると筋力がどうしても落ちるので、筋力回復がとても重要になります。
現在のひざの状態を細かく教えていただけますか。
福間:階段の上りはいいのですが下りが少し不安というか注意が必要です。お皿の前の方に体重が乗って、痛みにも耐えられず、転んでしまうのではという感覚が少しあります。軟骨自体はほぼ戻っているようですが筋力はまだ完全ではないのだと思います。でも私の目標は結構高いところにあるので、普通の方なら完治している状態なのかもしれません。
内尾:落ちる体重をお皿で支えようとするので、下りの方が力が必要になり負荷もかかります。筋力が付いてくればそうした不安も解消されてくると思います。
福間さんのスポーツ歴を教えていただけますか。
福間:幼少期から運動が得意で、小学校ではバスケットボール部に所属していました。100m走やリレー、走り幅跳びで学校代表として大会にも出場していました。中学から本格的に陸上競技を始め、800mなどの中距離を専門に大学まで続けました。教師になってからは、授業で球技を含めさまざまなことをやっています。授業中、生徒と一緒にミニゲームに参加したりもしますよ。陸上競技はもちろん、バレーボールやソフトテニス部の顧問も経験があります。
さまざまなスポーツを毎日のようにされてきたわけですね。この辺りの影響もあるのでしょうか。
内尾:スポーツによってひざの負担はかなり違うと思います。一定の動きのスポーツよりも、テニスやバスケットボールなど急に方向転換するスポーツの方がどうしてもひざに負担がかかります。また、スポーツでひざをケガすると最終的にOA(変形性膝関節症)になる可能性が高くなります。OA患者のうち、1割の患者さんはスポーツが原因と言われています。ですから、壮年期になってひざにトラブルが出て日常生活や仕事に支障がある方などは、早めに原因を見つけて治療することがとても大事です。人工関節になる前に自家培養軟骨移植などの適切な治療をおこなえば、また元のように歩いたり座ったりできるようになります。高齢社会については何かとネガティブなことが取り上げられますが、こうした治療で、それこそ素晴らしい技能を持っていた職人さんが再び匠の技を後世に伝えていくことができるようになります。健康な世の中になっていくことは素晴らしいことと私は思っています。

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