自家培養軟骨移植術開発ストーリー スペシャル対談

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自家培養軟骨移植術開発ストーリー
スペシャル対談

広島大学学長 越智 光夫 先生×J-TEC 研究開発本部 柳田 忍 氏

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今回、自家培養軟骨移植術の生みの親である越智光夫先生と、その製品化をおこなった J-TEC( 株式会社 ジャパン・ティッシュエンジニアリング)の研究開発本部 柳田 忍さんにお越しいただき、自家培養軟骨移植術の開発ストーリーをお話しいただきました。

最初に越智先生に自家培養軟骨移植術の開発までの話をお聞きしたいと思います。
越智:1994年に発表されたスウェーデンの自家培養軟骨細胞移植術の論文がでた時は、広島大学の助教授の頃でした。初めて論文を読んだ時、画期的な方法であり、硝子軟骨の治療には良いのではないかと思いました。ただ、手間暇がかかる。細胞をとって培養(細胞を増やす)する期間がいる。特別な設備も必要であることから、なかなか難しい治療法だなという感想でした。
1994年までの広島大学時代、私が主に取り組んでいたのは生物学的再建術でした。例えばスポーツ外傷、スポーツ障害などに対して自分の組織を使って治す方法です。前十字靱帯損傷の患者さんが多く、年間130例くらい再建術を扱っており、軟骨や半月板などの2次的な損傷もありましたから、これだけでいつも手いっぱいでした。
その時期も、もちろん軟骨に興味がありましたから、離断性骨軟骨炎の軟骨欠損部に、同種の半月板を入れる手術などをおこなっていました。
その後、1995年に広島大学から島根医科大学に移るのですが、島根医科大学のある出雲市の人口は7万人くらい、だいたい広島の15分の1くらいです。人口が少ないから、前十字靱帯の治療はずいぶん減る。そして、この地域は高齢者比率が高く、変形性膝関節症が多いこともあり、軟骨研究を主に取り組むつもりでした。
赴任前に1ヶ月くらい時間もありましたので、細胞を培養する培養室もヒトの細胞用に改修するなど設備面でもしっかり準備をしました。培養室というのは、ヒトと動物兼用というのは多くあるのですが、ヒト専用というのは少ないのです。
スウェーデンの自家培養軟骨細胞移植術とは何が違うのでしょうか。
越智:スウェーデンの論文はすばらしいものでしたが、いくつか弱いところもあるなと思っていました。そのひとつが細胞の漏れです。骨膜のパッチを貼って、細胞を欠損部に入れていくわけですが、細胞を液体の状態で入れるということは、パッチを縫合した糸と糸の間から漏れ出てくる可能性があるわけです。
その解決策として、私は3次元で細胞を培養したらいいのではないかと以前より考えていました。
その当時、3次元培養はすでに動物実験でおこなっているところもありましたが、ヒトに応用するという観点はまだありませんでした。
ひとくちで3次元にするとはいっても、方法はいくつもあり、さまざまなアプローチが必要でした。研究では、細胞が3次元構造の中でどのように動くのか、そしてどのくらい生き残るのかが焦点となります。まず細胞を2次元で培養して、後から3次元ゲル(ゼリー状)と混ぜるという方法では、3次元ゲルと混ぜるタイミングが手術の直前、2日前、1週間前で結果も違う。それに温度管理も加わっていくと、無数の組み合わせになり延々と実験が続きます。また並行して、はじめから3次元ゲルの中で細胞を育てていく研究もおこなっていて、最終的にはこの方法でいくことになるわけですが、その大きな理由は「作業工程がひとつ少ない」ということでした。2次元培養のほうが、実は細胞を早く培養できるのですが、後からゲルに混ぜるという工程がひとつ多くなり、その分、汚染のリスクが高くなります。故に私はできるだけ安全な方法を選びました。また、骨膜を貼る方法も、スウェーデンの方法より、確実にピシッと貼れる方法を考案しています。最高の治療を目指し工夫をしてきました。
3次元培養に使われるアテロコラーゲンに行き着くまでは大変でしたか。
越智:アテロコラーゲンについては、以前よりアイデアは持っていました。
80年代にアテロコラーゲンを使った研究をしたことがあり、動物実験で拒絶が少なく良い成果をだしていました。そして、ちょうど同じ時期に「シワ取り用のコラーゲン」として美容分野で売られ始めていたため、美容で認可がおりているのなら、これは使えるんじゃないかなと考えていたのです。また、この研究に使えるコラーゲンはアテロコラーゲン以外にありませんでした。
自家培養軟骨移植術は比較的順調に実用化されたのですか。
越智:私は、どんなにすばらしい研究でも、最終的にヒトに使えないとあまり意味がないと考えています。社会実装までいかないと動物実験や博士論文のレベルで終わってしまう。ですから、私の研究は社会実装することをつねに考えています。それには今までヒトに使われているものをうまく組み合わせていく研究が大切なのです。例えば、すばらしい軟骨をまったく新しい手法で作ったとしても、それが未知の物質で、ひょっとして毒性の可能性があるものなら、なかなか認可がおりず使えないですよね。
柳田:以前に先生から「君は何のために研究をやっているんだ」と聞かれたことがありましたね。私はあまり深く考えたことがなかったので、その時きちんとお答えすることができなかったのですが、そのあと先生が「世に使われるために研究をしないと意味がないんだ」と言われ、ああ、なるほど確かにそうだと深く納得したことを今でも憶えています。
J-TECとのかかわりについて教えてください。
越智:1999年にこの研究を発表した時に3社がすぐに来られて、その1社がJ-TECでした。あとはアメリカの企業と日本の有名な企業でした。
J-TECは非常に熱意があり、再生医療に特化した会社でもありましたので好感をもちました。それに日本で生まれた技術だったので、できれば日本で製品化したいという強い思いもありました。当時は再生医療ということばもなく、組織工学とか、組織工学的手法なんてよばれていました。
島根医大や広島大学ではJ-TECの方々も一緒に研究していたのですよね。
越智:そうです。ここにいる柳田さんたちに来てもらって、多くの労力と視点を得て研究に励んでいました。
柳田:私は、先生が広島大学に戻られてから一緒に研究をさせていただきましたが、たしか先生にお会いして、いちばん最初に「ブレインになれ」といわれました。そしてさらに「細胞培養のスペシャリストとして、他分野の先生方にも知識と経験を共有してほしい」ともいわれました。当初は軟骨研究だけの予定だったので、やや面食らいましたが、それがきっかけで、たくさんの先生方に出会い、神経や他の疾患にも触れることができ、たくさん勉強できました。さまざまな手術や研究を実際に目で見て、体験できたことは今でも私の糧となっています。
本当にありがたい時間であったと感じております。
越智:彼は細胞培養のスペシャリストですから非常に助かりました。大学の医師たちは比較的異動の間隔がはやく、自分たちの研究が終わるといなくなってしまうことも多い。でも彼は医師たちが変わっても細胞培養に関して、徹底してアシストをしてくれる。彼が作ってくれた細胞を使い、こちらは研究に没頭できるので、大変助かりました。
また、後年保険の適用までもっていけたことも、J-TECがいたからこそです。やはり我々だけだとできることが限られる。世界に向けて情報を流したり、リサーチしたりすることは、やはり協力企業がいないとなかなか難しいことだと思います。再生医療にかけている会社でよかった。ここまで来れたのはJ-TECのおかげです。
先生の研究スタイルは比較的オープンであるとお聞きしていますが。
越智:私がすばらしいアイデアを持っていても、周りのみんなが一緒になってわくわくしないと面白くないし、きっと研究はうまくいかない。「これがうまくいけば世界初だ!」なんて高揚感を持ってやることが研究者にはいちばん大切なのではないでしょうか。もちろん、自分が面白くない実験には身が入らない。面白ければ、睡眠時間が短くても大丈夫。そうじゃなければ夜中に研究室に行って、アイデアを試すなんてできないです。
柳田:そうですね、私もまったくその通りだと思います。当時、先生たちと一緒になって、研究にたずさわっていると、やはり面白くて、時間のことなど考えなかった。疲れなども全然感じなかったですね。とにかく面白さが先にありました。
日々目に見える成果があったので、刺激的な毎日でもありました。例えば、違う研究をしている先生方に、まったく同じ培養細胞を渡しても、その研究テーマによって全然違うデータが出てくる。そういったところも非常に面白く、勉強になりました。また、先生方の研究を目の当たりにして、ぼくならこう考える、こういうやり方もあるのではなど、自分なりにアイデアを考えるきっかけにもなりました。もちろんその時は、先生方の研究なので口には出しませんでしたが(笑)

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