自家培養軟骨移植術 再生医療ナビ 特設サイト

サッカーは、Jリーガーの誰よりも好きだ。簡単には辞められない。だからボクが復活の道しるべとなる。

近藤選手は、右ヒザの「自家培養軟骨移植術」をプロサッカー選手として初めて受けられました。
手術から約1年、いまのコンディションはいかがですか。

いまは、ランニングができる程度まで回復しています。
もちろん普段の生活は不便なくできますし、走れる悦びをしっかりと噛みしめている最中です(笑)

ヒザのトラブルから手術にいたるまでの経緯を教えていただけますか。

水戸ホーリーホックからFC大阪に移籍したタイミングでした。練習中に半月板を痛めてしまいまして。その手術をした時に、軟骨がほとんどないと言われて。本当に驚きました。大体、サッカー選手はヒザを痛めると引退してしまうことがほとんどです。でもボクはそんな簡単に諦められなかった。そして、治る可能性がある手術があると神戸大学医学部整形外科の黒田良祐先生が提案してくれて。

やはり引退とか、さまざまな葛藤などがあったと思いますが。

実はいちどサッカーを辞めているんです。子どものころからずっとサッカーをやってきて、大学もサッカーで入って。でもその頃は若いから、ほかにいろいろやりたくてサッカーをポンと辞めてしまった。それでサーフショップで働いて、波乗りしたり、スノーボードをしたり。ようは遊びたかったんです(笑)それはそれで楽しかったけど、なんかモヤモヤしていた。全然サッカーのように熱くなれないんです。サッカーだけが特別だった。
そこから再びサッカーに戻って、26歳でヴィッセル神戸に入ったんです。引退については、カズさんみたく長くやる人もいれば、中田ヒデさんみたくスパッと引退する人もいる。いろんな考え方があっていいのだけど、ボクの場合は、いまお話しした通り、サッカーを簡単に辞めるわけにはいかないんです。いままでボクを支えてくれたサポーターや友だち、そして両親にも失礼。サッカーは大好き。きっと、Jリーガーの誰よりも好きだと思います。だから簡単には辞められない。這いつくばってでもサッカーにしがみついていたかった。

「自家培養軟骨移植術」をどう思いましたか。

このヒザの痛みをなくし、またサッカーができるなら正直何でもやりますという気持ちがありました。でも、時間もかかるだろうし、お金もかかるだろうし。チームはなんて言うだろうかとかいろいろ考えましたよ。後になって保険がきくと聞いて金銭面は解決しましたが(笑)
とにかくサッカーができるようになるなら、よろしくお願いしますという感じでした。ボクは黒田先生を絶対的に信頼しています。もう9年くらいのつきあいですが、この先生が言うのだから全部おまかせしようと。たとえ、うまくいかなくても絶対に恨んだりしない。そんな気持でしたから、手術への不安はあまりありませんでした。

近藤選手は、「自家培養軟骨移植術」と「高位脛骨骨切り術(HTO)」の2つを同時に手術されました。合計5.5時間かかったようですが、手術はいかがでしたか。

手術は全身麻酔でしたから、当然ボクにはまったくわからないうちに終わっていました。麻酔をかける時も、「ガクト、10まで数えられたら手術代はボクが持ってあげるよ」「よっしゃー頑張るぜ」なんて先生と冗談を言い合っていましたから(笑)
黒田先生も2つ同時の手術は初めてだったようで、結構難しい手術だったらしいですけど。手術後は1週間はベッドの上、それから車イス、と少しずつ良くなっていきますが、いままでこんな生活をしたことがないから、ベッドから起き上がれる、歩けるなど、いままでの生活が徐々にできることがこんなに素晴らしいことなんだと実感しましたね。車イスから離れるのに2ヶ月くらいかかったのかな。

そこからリハビリにはいるわけですね。

そうです。足の曲げも最初は全然曲がらなくて、自分では結構曲げているつもりでも見ると全然動いてなくて(笑)ヒザの部分は癒着があるから、それをマッサージして剥がすのですが、それがむちゃくちゃ痛い。マッサージというと聞こえがいいけど、ヒザのお皿の部分にむりやり指を入れてグリグリほぐしていくんですよ。荒療治ですよ(笑)そうやって、傷の治りも見つつ立つ練習をしていきます。
立つことができると、そこから1/3荷重、1/2荷重、全荷重と右足に体重を掛けられるようにしていきます。それが、怖いんです。自分では結構体重を掛けてるつもりでもまったく掛けられていない。体重計を使いながら、このくらい体重を掛けると1/2だとかやるんですけど、体重計の時は、ああこんなもんか大したことないなと思うんですけど、実際やってみると怖くて体重が掛けられない。すごく勇気が必要でした。全荷重が掛けられるようになった時は、本当に、とても嬉しかったですね(笑)

ずっとサッカーをされてきて、大きな怪我もなかったようですが、ヒザの故障の予兆などは本当になかったのでしょうか。

ボクの場合はまったく分かりませんでした。今回も練習中に軽くダッシュをしていてヒザがロックして、半月板損傷だと言われて手術してみたら、軟骨のほうが重傷だったというわけで。ボクらアスリートは、多少の痛みに慣れてしまっているんです。そこがまずいところ。例えば、ねん挫にしても慢性的な症状で、みんなテーピングなどでごまかしている。ちょっとしたことをいちいち気にしていたら、なかなかプロでのプレーはできないと思います。
でも、今回の軟骨のことでは、もしこんな風に減ってしまうことが分かっていたら、ヒザ周りの筋肉などを重点的に鍛えることができたのかなと思います。後悔先に立たず、、、ですが。

「自家培養軟骨移植術」は、いままで200人くらいの人が手術をされているそうですが、プロサッカー選手としては近藤選手が初めてと聞いています。このことについてはいかがですか。

今回の手術は「自家培養軟骨移植術」と「高位脛骨骨切り術(HTO)」をしています。このように、自家培養軟骨移植術とその他の治療法を組み合わせた手術は黒田先生も初めてということでした。でも、だからこそ、すごく楽しみなんです。ここから復活できれば、ボクがパイオニアじゃないですか。アスリートのこうしたヒザトラブルからの復活の道しるべになれることが、なんだがすごく楽しみなんです。

最後に、ヒザのトラブルを抱えたアスリートにメッセージをお願いします。

アスリートもそうですが、ヒザにトラブルを抱えている人は世の中にたくさんいらっしゃいます。この手術をすることで、もういちど走ったり、いままでの生活ができるようになる。ヒザが治ることでまた色々な感動に出会えたり、夢を追えると思うんです。ボクでいえば、もういちどピッチに立ってサポーターの前で情熱的なプレーを見せたいし、代表に選ばれてワールドカップにも出場したいと本気で思っています。
ヒザのせいでいろいろなことを諦めているなら、未来、夢に向かえる手術があることを知ってもらい、諦めないでほしい。ボクも必ずもういちどピッチに立ちますよ。

PROFILE

近藤 岳登 Gakuto Kondo
1981.2.10生まれ(35歳)愛知県豊川市出身
1999
愛知産業大学三河高校卒業後、大阪体育大学にサッカー入学、
1カ月後退学。サーフショップ勤務
2001~2002
東海理化SC(社会人チーム)
2003~2006
びわこ成蹊スポーツ大学入学、関西学生選抜に2年連続選出。
2007~2012
ヴィッセル神戸
2013~
水戸ホーリーホック
2014~現在
現在 FC大阪
病歴
●サッカーによる外傷性軟骨欠損症
●右膝の内側顆に7.2cm2の欠損あり
●手術前の症状:腫れ、痛み、曲げ伸ばし困難
経過
2015.1
自家培養軟骨移植術用に軟骨細胞を採取
2015.2
自家培養軟骨移植術・高位脛骨骨切り術(HTO)
同時オペ
2015.12
HTOプレート抜去、自家培養軟骨移植部位の状態確認
2016.1
リハビリトレーニングをしながらFC大阪練習参加
配信元 Japan Tissue Engineering Co., Ltd. (J-TEC)
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